クイーン・メアリー 史実とは違う10のこと
スコットランド女王メアリー・ステュアートの生涯をもとに、美男美女のキャステイング、少女漫画のようなドラマティックなストーリーと豪奢な衣装で話題をかっさらったドラマ「クイーン・メアリー」。知っているともっと楽しめるかも?な史実トリビアをご紹介します!
①セバスチャンは実在の人物ではない
「クイーン・メアリー」は史実をもとに作られていますが、ドラマオリジナルのキャラクターが多数登場します。たとえば、随一の人気キャラクター、セバスチャン。庶子に生まれたため長男でありながら王位を継げず、弟フランソワと愛するメアリーをめぐって三角関係になってしまうのですが、史実ではアンリ2世と愛妾ディアーヌの間に子供はいません。
他にも、野心家ナルシス卿、メアリーとエリザベスの両方に惹かれてしまうギデオン、カトリーヌの不義の娘クラリッサ、グリアやクロードと恋仲になったレイスなど...ドラマオリジナルのキャラクターが、実在した人物と密接に絡むのも「クイーン・メアリー」の面白さのひとつです。
②侍女4人の名前は全員メアリー
メアリーの幼馴染であり、親友でもある4人の侍女。ドラマではケナ、グリア、ローラ、エイリーでしたが、史実はなんと全員メアリー。
当時のネーミングの基準は両親や祖父母の名前からとるか、誕生日の守護聖人からとるのが一般的。そもそも名前自体にあまりバリエーションがないのですが、まさか全員メアリーとは!
ちなみに、女王メアリーは母親の名前がマリーだったこと、誕生日が聖母マリアの祝日だったことから名づけられたようです(母親の英語名表記もメアリーになります)。
また、4人のメアリーの内3人は後に結婚して家庭に入りますが、1人だけは最期まで女王に仕え、処刑の際にも付き添っています。
③カトリーヌが溺愛していたのはフランソワではない
ドラマでは「メアリーと結ばれればフランソワは死ぬ」というノストラダムスの預言を信じ、メアリーにつらくあたるカトリーヌ。しかし、史実のカトリーヌが最も可愛がっていたのはフランソワではなく、三男のアンリでした。
「息子3人が王位につく」というノストラダムスの預言を受け、病弱な長男・次男は早々に見切りをつけ、いつかはやってくるアンリ戴冠の日のため、着々と準備に励んだといいますから、現実的と見るべきか、冷酷非情というか...。カトリーヌはどの息子が統治する時代にも絶大な権力を持ち続け、幸いなことに最愛のアンリが暗殺されるのを見ることなく69歳で亡くなりました。
ちなみに、カトリーヌに重用されたノストラダムス。ドラマでは青年の設定ですが、実はカトリーヌより16歳も年上です。
④フランソワに子供はいない
メアリーの侍女ローラとの間に息子を授かるフランソワですが、実際には妻のメアリーを含め、誰との間にも子供はいませんでした。
史実のフランソワは子供の頃から病気がち。あまりにもひ弱すぎて、国王夫妻が心配のあまり結婚延期を考えたほどです。世継ぎどころか生き延びられるかも危うく、政治は妻メアリーの母方にあたるギーズ一族に任せきり。当然ながら、ドラマのように家臣になりすまして父親を殺すなんて以ての外だったのです。
⑤メアリーはフランソワの死後すぐ帰国した
フランス王妃だったのはわずか1年半だったメアリー。ドラマでは未亡人となった後もフランスに残って結婚相手を探していますが、史実ではすぐに帰国しました。一時はフランソワの弟・シャルルとの結婚話も出たのですが、メアリーより8歳も下であること、何よりカトリーヌが自分を「商人の娘」だと軽視していたメアリーなど言語道断だと猛反対したことから立ち消えに。
6歳でフランスに来てから12年。皇太子妃、王妃と輝かしい栄光の日々を暮らしたフランスに、メアリーは生涯戻ることはありませんでした。
⑥コンデ公兄弟は揃って戦死した
シーズン2でメアリーと結ばれたコンデ公ルイ。史実のコンデ公はメアリーより一回り年上で、しかも当時の宮廷は政敵にあたるメアリーの叔父・ギーズ公(ドラマではほぼ出番がありませんが....)が牛耳っていたので、実際の2人は単に面識がある程度だったのではないでしょうか。彼はメアリーがフランスを去ったおよそ10年後、司令官を務めたユグノー戦争で戦死しました。
また、兄のアントワーヌ(ナヴァル王にしてヴァンドーム公)もルーアン包囲戦で受けた戦傷がもとで亡くなっています。ちなみに、このアントワーヌと妻であるナヴァル女王ジャンヌの間に生まれた息子が、後のアンリ4世です。カトリーヌの未娘マルゴを妻に迎えていた彼は、カトリーヌお気に入りのアンリ3世が暗殺された後、ヴァロワ王朝に代わるブルボン王朝を築きました。
⑦カトリーヌはディアーヌを殺していない
ドラマでは双子の娘を殺された復讐を果たしてしまったカトリーヌですが、意外にも史実ではそこまでしていません (双子を産んだのは事実ですが、2人とも生まれて間もなく亡くなっています)。
史実のディアーヌはアンリ2世の政務を手伝ったり、メアリーも含めた王家の子供たちの教育係も務めるなど、実質上は国王ー家の一員のような存在でした。フランスに来たばかりのメアリーは、宮廷であまりにも幅をきかせているディアーヌが王妃だと勘違いしたとか。
アンリ2世の死後は、当然宮廷から追い出され、王からもらった宝石やシュノンソー城(カトリーヌのお気に入りでした)も取りあげられてしまいますが、命だけは助かります。その後は亡き夫の領地でつつましく暮らし、66歳で亡くなりました。
⑧クロードは実は優等生だった
男性関係に奔放で、王族らしからぬ自由な振る舞いのためカトリーヌの悩みの種だった問題児クロード。史実では3人いる娘のうち、なんとカトリーヌー番のお気に入りの出来の良い娘でした。
史実のクロードは12歳でロレーヌ公に嫁ぎ、9人もの子供をもうけますが、自分と同じ名前の娘を産んだ直後に亡くなります。
わずか27年の生涯でした。ちなみに、その7年前にはスペイン王妃となった姉リーザ (エリザベト)が23歳の若さで、同じくお産の床で亡くなっています。
ドラマでは反発してばかりの親子でしたが、実際の2人はとても仲が良く、結婚後もしょっちゅう会っていたそうです。
⑨息子ジェームズとエリザベスに面識はない
夫ダーンリー殺しの廉で窮地に陥り、最愛の息子ジェームズを宿敵エリザベスへ託したメアリー。ドラマでは成長したジェームズとエリザベスの対面シーンがありましたが、史実のジェームズはエリザベスが亡くなりイングランド王位を継ぐまでスコットランドにいましたから、2人に面識はありません。
しかもドラマと違い、史実のジェームズは、母親の命乞いは一切しなかったのです。エリザベスに実子がいないので、早くからイングランド王位次期継承者と目されていたジェームズ。労せずイングランドが手に入るのに余計な騒ぎを起こすのは得策ではないと判断したのか、プロテスタントである彼にとってカトリックのメアリーは異端の母親だったのか...。いずれにしても、ジェームズがスコットランドとイングランドの王を兼ねたことにより、メアリーの血はその後もイングランド王家に脈々と受け継がれることになりました。
⑩史実はもっと残酷だった、メアリーの最期
現代よりも死が身近だった中世、処刑は一種の娯楽でもありました。とりわけ王侯貴族の処刑ともなれば物見高い野次馬が大勢押し寄せたとか。スコットランド女王メアリーの処刑も見世物として扱われ、衆人環視の中で行われました。
血で汚れても見苦しくないように、わざと赤い衣装を選んだメアリー。その首めがけて斧が振り下ろされますが、一撃、二撃でも血しぶきとうめき声が上がるだけで死にきれず。ようやく3度目で首が落ちたという、惨たらしい最期でした。
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